仕事好きにも嬉しいベーシックインカム「働かざるもの飢えるべからず 」

個人的にここ1年くらい、「ベーシックインカム」という考え方にかぶれています。
運用の仕方にも大きく依存すると思うのだが、今日本で話題に登っている社会問題の殆どは、ベーシックインカムで解決してしまうんじゃないだろうかと、結構本気で考えている。貧困問題、福祉問題、少子高齢化問題、GDPの低下、雇用問題、過剰労働、不景気、環境問題、等々。
そんな中、この本もとても興味深く、楽しく読んだ。思っていたよりもとても哲学的に突っ込み、かつわかりやすく、何故ベーシックインカムなのか?というベースの思想が、余す所無く書かれている、小飼弾さん渾身の書だ。


働かざるもの、飢えるべからず。
小飼 弾
サンガ
売り上げランキング: 4969
おすすめ度の平均: 3.5
3 将来性が無い議論
4 タイトルからして・・・・
3 残念ながら、私は説得されませんでした。。
5 平成の坂本竜馬! 本気の小飼弾さん
4 小飼弾の”本気”

なぜベーシックインカムなのか。

この本の内容と、自分自身の考えも合わせ、なぜベーシックインカムが良いのか、という骨子をまとめてみた。自分は仕事もお金儲けも結構好きな側なので(儲かってないけど)、そっちの視点から見てもベーシックインカムいいよ!ということも強調していきたい。

  • 人間は何も生産していない。農業でさえ、人が生き延びるために自然から収奪しているだけなのだ。生産する=働くという定義下であれば、人は誰も働いていない。ただ単に所有者の循環を金銭に変えているだけ。「働かざるもの食うべからず」というのが本当に正しいのであれば、人間はとうの昔に餓死しているはずだ。
  • どんな分野の産業でも、便利になればなるほど富が一極集中するのが必然である。便利になるということは、「より良いものをより安く」というニーズに答えていくこと。それにより、例えば小売業界でも個人商店や小型店舗はどんどん淘汰され、供給チェーンを効率化して低コスト化できる大型ショッピングモール等に富が集中する。お金持ちがますますお金持ちになるというのは、貧乏人も含めた社会の総意である。
  • 富が集中した結果、一部の人達が使いきれない富をストックしてしまう。一人の人間が富を消費するのはどんなに贅沢したところで限界があるし、いつ没落するかわからない状況では、現状富を所有する人達も気軽にバンバン使うことができない。結果、本来、社会の交換媒体であるはずのお金が、適正に社会に流通しなくなる。これが貧困の正体
  • 「より良いものをより安く」をかなえた結果、一部の人が富を築き、そのことによって社会全体が豊かで高品質になっていくという適正な循環を起こすためには、富が一極集中する上で使いきれなかったお金を、もう一度社会に還元する必要がある。(せっかく良い物を作っても、貧乏な人ばかりで買ってくれる人がいないのであれば、作った人も不幸!)使わないものや使わない金は、社会に還流した方がお得なのである。
  • 従来の高度成長期であれば、ものを作る段階、お金を作る段階においては、貧富の格差と競争原理がうまく機能する。現在は物が溢れ、供給過剰な状態。「いかに使うか」ということを考えなくてはならない。生産した物がより使われ、潤沢な社会になるには貧富の格差は少ない方が良い。
  • 例えばもし世界が100人の島にレストランが一軒あるとして、年収300万以上じゃないと外食は厳しい。でも、その島の1人を除く99人が年収200万以下だったら、1人に嫌われてしまったらそのレストランは終わり。逆に全員の年収が300万だったら、そのレストランは繁盛し、利潤が生まれ、ニーズが生まれ、また別の多様なレストランが生まれるかもしれない。このように、「顧客に一定以上の収入があってはじめて成り立つビジネス」は、貧困層ばかりの世の中では成り立たない。お金持ちにとっても、自分以外の人達がみな貧しいというのは旨みがない話。
  • ただし、「作る」段階においては、競争原理は機能する。共産国家がなぜ失敗したかというと、「作る」方を平等にしてしまったからだ。収入の格差や財産の格差は、一生懸命やりたい人をやる気にさせるくらいには残しておいた方がいい。
  • お金を所有するには手間ヒマとコストがかかる。人にお金をあげる、社会に還元するということは、使わないものにコストをかけずに済み自由になれる、と考えると良い。「所有」から「利用」に意識を転換することで、「管理」のコストから開放される。
  • 生産性を追求すればするほど失業しやすくなる。全員を働かせようとした結果、供給過剰になり失業者が出る構造の問題。職を得られないのはその人の責任ではない。「働かざるもの食うべからず」という倫理観のもと、無職の人を自己責任だと非難するのは不当なのではないか。
  • 「食うために働く」ではなくなることによって、働くことは「義務」から「権利」になる。一心不乱に何かをし続けられるということそのものが報酬。食うためにではなく、ただ働きたいから働いているという人は現在でも一定数居て、そういう人達は放っておいても働く。労働の現場において「働きたいから働く」という意識が当たり前のものになれば、生産性は自ずと向上する。生産したい人の足を引っ張らないことが大事。
  • 供給側が努力しているから、顧客はその商品を買うのか?「安くて良いもの」が当たり前の世の中においてその答えはNOだ。成功には運の要素も大きく影響する。現在の成功は結果論でしか測れない。努力は報われない
  • 成功と努力が比例しないのであれば、多様な挑戦がある世の中の方が潤沢で良い世の中になる。挑戦者はもっと増えていい。成功しなかった場合のセーフティネットがしっかりしていた方が、挑戦者は増え、多様な成功者が生まれる。
  • 今は、作り出そうとする人に対して許認可を求める「デフォルトNO」が主流の世界。「デフォルトNO」の世界は入試のように、一旦許認可を得られたものはふんぞり返っていても大丈夫。これでは新しいものは生まれにくい。命に関わらない分野であれば、「デフォルトYES」の構造にするべき。それが成功するかしないかは市場が判断する。失敗した場合のセーフティネットとしてベーシックインカムを設ける。人様に危害を加えない限り、好きな人が好きなように働くのを罰しない社会構造にするべき。
  • 努力もしないで貧困層に居る人がかわいそうだから、ベーシックインカムなのではない。社会のパフォーマンスを下げるとみんなが不幸になる。貧困層がない社会の方が豊かで住みやすい社会。(スラムに住むのとかスラムが近所にあるのとか嫌だよね。)
  • ベーシックインカムが助長するのは「しがみつかない生き方」。雇用にしがみつかない、貯蓄にしがみつかない、土地にしがみつかない、そして「未来」にしがみつかない。今日できる楽しいことは今日やろう。明日でいいことは明日でもいいじゃん。今を楽しもう。いつ死ぬかなんて誰にもわからない。(今日より大切な明日なんてないのではないか。)
  • 大量生産、大量消費で世の中が一つの方向に「進化」している時代は終わった。今後は何が正解なのかますますわかりづらい世の中になる。個人の幸せは多様化する。その中で政府に賢さを求めるのはもはやナンセンス。政府はお金を集めて配ることに徹する方がいいのではないか。そして、再配分されたお金は、個人がその幸せのために使うことにより、より豊かな社会になるのではないか。
  • 幸福は人にあげても減らない。むしろ人と共有した方が幸福は増える。人は「誰かに喜んでもらうのが楽しい」と感じる社会的な生き物。そしてそれは必ずしも金銭の授受とは比例しないのではないか。
  • ベーシックインカムが意味するのは、個が組織のために犠牲になるという美学の終焉なのではないか。個人一人ひとりが楽しく生きるために必要だから社会を形成しているのであり、個人の幸せを犠牲にし社会に尽くすのは本末転倒だ。そして、自分以外の多数の個人の幸せの最大化が自分の幸せにも返ってくるという、逆転の発想がベーシックインカムなのだ。

請求書書くのってなんであんなに苦痛なんだろ…

この本については色々書きたかったんですが、上記をまとめるだけで疲れたので、また後日。
一点だけ、巻末で小飼弾さんとスリランカ仏教のスマナサーラ長老が対談しているのですが、(これいい対談です!)その中で深く共感してしまった部分を抜粋したい。

実は仕事をするとき、私は、請求書に金額を書くときが、一番嫌なんです。
仕事そのものは楽しい。できそうなものがあると、思わず作ってしまったりします。しかし、それには値段をつけなくてはいけない。
(中略)
仕事には作るという部分と、それをいくらにするかという部分があって、後者の作業がものすごくつらい。

私も、請求書や見積書を書くと半日ぐらい凹むくらい辛いのでとてもわかる。自分の仕事を「事前」にお金に換算することがとても苦痛なのだ。もちろん、お金をもらえないと生活していけないので、請求書や見積書を書かせてもらうということはとてもありがたいことなのだけど。
仮に、ある仕事の予算か見積もりが、20万円だったとする。そうすると作る人にとっては、どんなに良いものを作りたくても、20万円以上のコストを掛けてしまうとその仕事は成り立たないのだ。100万の仕事は100万なりに、20万の仕事は20万なりにやらなくてはいけない。だからその仕事のコストを事前に換算するのだけど、仕事というのはどうもやってみないと分からない部分がある。
また、その仕事によって生み出される価値というのも、世に出してみなければわからない。それなのに、予算によって多くの価値は「事前」に測られるのだ。それが、自分にとってはとても苦痛だ。安い仕事に全力を尽くしてしまうのは、少なくとも数字の上では損になってしまう。
思うに、予算や見積もりというのは、構造的には「借金」や「融資」に近いのではないかと考えている。まだやっていないことに対して、未来の仕事を担保に借りを作ることなのだ。未来を担保にするという行為が苦痛なのかもしれない。
それに対抗するのが、成果報酬とかレベニューシェアとかで、こちらは「投資」に近い考え方だと思う。良いものを作ってくれたお礼として、またさらにそれを原資に良いものを作って欲しいという意味合いを感じるので、こちらはとてもわくわくする。いいものを作れば作るほど、「得」になるのだから。
世の中的にもどんどん、成果報酬型の仕事がしやすくなってきていると思うので、個人的な収入形体も、徐々に「投資」型にシフトしていきたいなと思っているのだけど、ベーシックインカムというのはそういった稼ぎ方をさらに広く可能にしてくれるのではないかなという期待もしている。

上記の対談は動画も公開されているようです。面白いです。
USTREAM - 『働かざるもの、飢えるべからず。』 サンガ刊行記念 小飼弾先生×スマナサーラ長老対談

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サンガ
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3 将来性が無い議論
4 タイトルからして・・・・
3 残念ながら、私は説得されませんでした。。
5 平成の坂本竜馬! 本気の小飼弾さん
4 小飼弾の”本気”


こちらは、ベーシックインカムには直接触れられていませんが、私がベーシックインカムという考え方にハマるきっかけになった本。
「モモ」や「はてしない物語」の童話作家、故ミヒャエル・エンデが残した言葉から、お金というシステムが持つ問題点について、根本から取り組んでいます。
エンデの遺言―「根源からお金を問うこと」
河邑 厚徳 グループ現代
日本放送出版協会
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4 ”お金”について考えてみよう!
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5 今こそ読むべき本だと思います。
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