Twitterのキャズム超え雑感

まぁ、ちょっとしたブームのさなかではありますが、もうさすがにキャズム超えたと言っていいでしょう。Twitter
ヒキコモリで外にめったに出ない私でさえ、たまに外に出ると、喫茶店で、駅のホームで、電車の中で、Twitterの話題を耳にしない日はなくなった。テレビではドラマの小道具として使われたり、ツイートがニュース番組でニュースソースとして使われてたりする。
ちょっと前までは、街中でたまたまTwitterをやっている人を見たり、Twitterの話題っぽいのを耳にしたりするだけで、なぜかそわそわしたり、ニヤニヤしたり、なぜか照れたりしていた私だが、もう動揺したりしない。そんなの日常茶飯事さ。
ちょうど今から一年前くらいに、一部の政治家や有名人の方々がTwitterをやりはじめて、ユーザー数も伸びだした時期に、キャズム超えたらどうなるんだろうね、的な話題をTL上でよく目にした。当時、「ananのTwitter特集」みたいな冗談も言ってたけど、今や冗談じゃなくホントになってしまった。(わお!しかも明日発売!)
毎日変化するTwitterの状況にわくわくしつつも、低リテラシーなユーザが入ってきて、陳腐化し、今のように面白い場所ではなくなるんじゃないかという懸念も聞かれた。
さて、晴れてキャズム越えしたわけだが、個人的には、Twitterは陳腐化するどころか、昨日より今日、今日より明日がどんどん面白くなっているという実感しかない。
その、良かった事と悪かった事を、個人的な感想としてまとめてみるとします。

良かった事

  • 中学時代の友達なんだけど、PC使わない、mixiやってない、ネットも携帯でしか見ない友達がTwitterをはじめた。マイペースに楽しんでやってるみたいで、連絡もとりやすくなったしうれしい。こういうのは新鮮だ。いわゆる「ネットユーザー」じゃない人でも違和感なく楽しめるTwitterはやっぱりステキだ。さらに、彼女つながりで、中学以来会ってない友達も発見できた。スゲー、Twitterスゲー。
  • 自分のタイムラインの好きな人たちの大多数は、変わらずつぶやき続けてる。(たまに居なくなっちゃう人も居て残念だけど)さらに、色んな面白い人達が毎日加わっていく。依然としてわしのタイムラインの人達は面白すぎる。ああ、好きだ好きだ、わしのタイムライン。
  • USTブーム、大好きな孫様降臨、テレビやドラマと面白い動きが毎日目白押しで困る。以前は、面白い事はもっと内輪ノリだったけど、最近はやたらでかい。内輪のノリも楽しくて好きだけど、でかい話はやっぱりわくわくしてしまう。最近は、タイムラインを見る頻度を意識的に下げるようにした。キリないからだ。大丈夫です。面白い事を見逃したところで、いつ見たって面白いんだから。
  • キャズム関係ないけどリスト機能はすごく助かってる。Tweet頻度が高くなくて、TL上では滅多に会えないであろう知り合いや、いつも追っていたい人はリストで見てる。照れ屋さんだから非公開リストだ。
  • キーワード検索やハッシュタグを見ながらテレビとか見るのがより楽しくなった。ツイートの総量が増えたから。
  • 有名人は最初は新鮮で面白いけど、大体の人がそのうち空気のようになってしまう。ツイート内容がグッとくる人、お気に入りの人はふるい分けられて残り続けるんだけど、その他の人達の陳腐化する速度たるや、速い。結局残るのは、有名無名に関わらず、自分の愛着や馴染みのある人だ。もしTwitterに有名人が増えたら、その他大勢のツイートは空気になり、多くの人がただの観客になって、Twitter全体が廃れる。みたいなことを懸念してる記事があったけど、全くもってそんなことはないという実感だ。こういうのは嬉しい。
  • Twitterのアカウントを以前、仕事で使う名刺に入れてたのだけど、Twitterなど知らないような、全く違う業界の人が突然見たらこれ引くよなぁとすごく後悔したことがあった。後悔しすぎて一時期プロテクトにしていた。今なら、認知も高まり知らない人も割と居なくなったので、しょうもないことつぶやいてても、あぁ、こんなもんだよね、と思ってくれる(に違いない)。
  • あんまり仲良くなかった人のアカウントを偶然みつけてのぞいてみたら、犬を可愛がっていたり、良い事言ってたりして、ちょっと仲良くなれそうな気がした。素の「個人」が垣間見えてしまうと、もう敵も味方もないよなぁ。

といった感じか。もっとあるような気もするけど、なんだかキャズム超え関係なくなってきたしもういいや。

良くない感じのこと

と言ってもそんなに無いんですけどね。別に以前からあったといえばあった現象だし、スタンス次第でどうにでもなるなぁと。

  • 愚痴とかは言いづらくなった。と言っても、オープンで本人に紐付け可能な状態で、誰かにバレたら困るような事をそもそもネットで言うべきじゃないので、まぁこれもキャズム関係ないやね。私は、割と初期から仕事関係の人やリアルな知り合いとも繋がってて、公私やネットとリアルをあまりわけないタイプなので、スタンスとしては以前と殆ど変わらないかも。以前より内容は選ぶようになったけど、それは誰がみているから、というよりも、単にわし自身のリテラシーの向上なんだと思う。。
  • キーワードの自動フォローや、スパム、商用アカウントは増えた。でもまぁ、これも関心なければスルーすれば良いので。
  • お父さんにバレたらちょっと嫌だなぁ。いや、それはそれでおもろいんだけど、色々事情もありつつ。

そんなくらいですかね。基本的に自分にとってのTwitterキャズム越えしたことによって特に変わらなかった。いいところは殆ど変わらず、どんどん面白くなっている。

「見たいものだけ見る」という思想。

Twitterの根底には「見たくないものは見るな、見たいものだけ見ろ」という思想設計があると思っていて、私はその思想がとても好きだ。
その思想に忠実な使い方をしている限り、Twitterはずっと居心地の良いものであり続ける気がする。そして、Twitterはそのための方法論をいくつも機能として与えてくれている。
そして、「見たいものだけ見る」という思想は、多分インターネットの思想そのものでもあると思う。
Twitterが変わらず良いものであり続けている理由にもう一つ、「場」が無いということがあると思う。議論の場が成立しているように見えて、実は全ての人は固有のタイムラインの中でつぶやき続けているだけだ。「場」には誰か別の持ち主が居るか、もしくは誰かと共有するものだ。掲示板には「場」があった。「場」には古参も新人も居るし、管理者もいる。「場」は適切な統治を施さないと荒れることがある。
でもTwitterには「場」がない。そこにあるのはタイムライン、つまり「時間」だけだ。「時間」だけは自分以外の誰のものでもない。自分の時間軸、タイムラインは少なくともTwitterでは好きなようにアレンジできる。だから自分の居心地の良い状態を保つようにしていれば、そもそも「場」はないのだから、荒れようがない。たまに不快なことがあっても、すぐにフローとして流れ去ってしまうし、リムーブやブロック、リストといったコントロール手段もある。

こんな素晴らしいTwitter、廃れることがあるんだろうか?多分、Twitterに代わる何か、もしくはその進化形が出てきた時なんだろうけど、それがどんなものになるんだか、いまだに想像がつかない。