7月7日ってことで、iOS 7 のこと

珍しく文章を書く意欲が出る期間に突入してる感じがしているので、色々書く練習も兼ねて軽いことでも書くようにしていこうかなあと思う。
で、奇しくも7月7日ってことで、ちょっと話題の旬は過ぎたけど、iOS 7 のこと。自分で触ったことはない。色んな意味で気になりすぎてデベロッパー課金しようかなあと思ったけどしてない。触ったこともないのに評価を下すべきではないので、アレはイケてるとかイケてないとかそういうことを言うつもりはないのだが、触ったことがなくてデベロッパー登録してないからこそ、NDAとか気にしないで色々言えるというメリット(? もありそうってことで、今気になってることを書いておこうと思う。後にそれを自分で読んでどう思うのかなあっていうのも気になる。

iOS 7 ってアレでしょ?


(映画 『アバター』 より)
スクリーンの中に深度のある擬似空間とレイヤー構造を作った、ってことでこれどういう世界観なのかなあと考えて、思い浮かべたのがコレ。映画とかでよく見る、空中にタッチインターフェイスのついた複数のスクリーンを映し出し、ひょいひょいのひょいと指先で操作できるアレ。
iOS 7 ではこの世界をiPhoneの筐体のスクリーンの向こう側に作り出した。今は技術的な限界で筐体の中でしか実現できないけど、いずれこの世界観は筐体の中を飛び出して、実世界空間の中でこのOSの操作が実現できるはず。空間の中に現れる平面スクリーンなので、そのレイヤー自体に奥行きがある表現を加えるのはおかしい、だからそのレイヤーの中身は徹底してz軸を排除したフラットUI。
っていう邪推が正しいのかどうかわからないけど、自分的にはそう考えた時にあの落とし込みに対して納得が行った。

デザイナーズマンションみたいな感じ

iOS 7 のグラフィック表現は、モダニズム的なミニマルな表現に寄っている。立体空間に例えるならモダンなデザイナーズマンションのような感じに似てる。アレね、アレも住んだことないから知らないけど、まあおそらくイイカンジに住むの難しいんですよ。もうオシャレで教養のある人しかうまく住めない。似合う家具は限られる。いつも掃除してないといけない。モノ置き過ぎても台無し。シンプルだから懐が深いかというとそうでもなくて、逆にあの手のミニマリズムはすごく制約が厳しいし、シンプルで計算されているがゆえに空間の中でそれが主役のような存在感を発揮する。自らのオシャレの成立のために周囲の全てが存在するような、わりとそういう緊張感のある振る舞いを周囲に強いる感じの性質がある。逆に言えば、その空間に置いたら空間ごと台無しにしかねないものが世の中にたくさんあり、台無しビリティが非常に高い。
OSは色んなアプリを包括するプラットフォームなので、主役はどっちかというとサードパーティのアプリやコンテンツという認識でいるのだけど、アレで行くとOSのデザインが、アプリやコンテンツのデザインにかなり影響を与えそうで、それが吉と出るのか凶と出るのかわからない。みんながみんな、オシャレなデザイナーズマンションに住むことを好まないように、どのアプリもああいう感じのデザインになるというのはちょっと考えにくいのだけど、デザイナーズマンションに仏壇置いたら変なように、あのUIと違和感なく共存できるアプリやコンテンツが割と多くはなさそうな感じが気になる。

メタファーは古いものへの歩み寄り

iOS 7 の発表をタイムライン越しに見てて、何人かの人が「自分の親には勧めにくくなった」と言ってたのが印象的だった。ミニマルな表現は割とどんな分野でも受け手に深いレベルの理解を強いる。
行き過ぎたスキューモが無意味だよねっていうのは共感する。これまでのiOSの、「え、それ、そこ皮テクスチャじゃなくてもよくね?」みたいなのはすごくあるんだけど、今までのリアルでの習慣をなぞって、似たような見た目をスクリーンの中で再現する(紙に似た使い方をするものには、紙に似た表現を使うとか、押すべきところにはボタンっぽい凹凸を施すみたいなの)というアプローチは、やはりそれなりの効果があり、iPhoneがここまで多くの人に使われた一因にはなってたのだろうなと思う。
スキューモフィズムや各種のメタファーが醸成するアナロジーは、深く理解していないユーザーに対する思いやりであり歩み寄りだ。今まで慣れ親しんだアレと同じようにすれば、「とりあえず使える」。対象に対する本質的な理解や、慣れ親しみがなくても、とりあえず今までの経験をなぞればいいようになっている。
電子メール、電子書籍電子マネー…どれもスキューモ的なネーミングだと思う。初めて新しい手段に接する人に対しては、今までの習慣をメタファーにして表現することでしか、うまい説明ができない。そして未だに、それらの表現が幅をきかせてる。(新しい概念が新しい言葉として広く定着したのはググるとか、ツイートするとかぐらいしか思いつくものがない。あ、マイミクとかもそうかな。)電子メールも従来の手紙とはだいぶできることが異なるし、電子書籍電子マネーもそうだ。これらの古くさい呼び方、表現が新しい概念の新しい可能性を阻害している一面があることも否めないけれども、結局そういった表現が、今の時代に新しい概念を「広める」には一番効率がいいってことで、今の現状があるのだろう。

そういう時代なのかもしれない

そんなわけで、今までに見聞きした情報の範囲内で本音を言うと、「理念はわかるけれど、ちょっと早くないっすかね・・・?」っていうのが正直な感想になってしまう。いや、Disってるわけではなくて、逆にむしろそういう感想しか持てなかった自分自身が割と残念で老害感あってかなしい。
一方で、タッチインターフェイスはもう導入〜普及フェーズを過ぎて、これからはそれを日常の中に当たり前に存在するものとして発展させていく時期だという見解がしかるところにあって、だからもう変なメタファーいらんだろっていうことになって、回りまわって結果的にわーいフラットUI、フラットUIみたいな流れになってるんだろうねえっていうのも理解はできる。いずれにしても、Windowsしかり、GoogleAndroidしかり、この時期に色んな所から似たようなアプローチが出てくるというのは、深い意味がありそうだ。プラットフォーマーではないいち小作農としては、うだうだ言ってないでこの流れにどううまいこと乗ってくか、しかないよなあ。
そもそも、iPhoneが出た時も割と初期に入手したのだけども、その時も「自分は好きだしスゴイと思うけど、これ普及すんのかねえ?」っていう感想だったので、自分のこの手の感覚はまるで信用出来ない。
いやー、どうなるのかねえ。とりあえず iOS 7 がとても気になってしまう今日このごろです。

# 追記 1
パルスのファルシのルシがパージでコクーン…???とか CUI(黒い画面)が怖い…とかも、アナロジー不足による親しみ辛さという点では似たような感じがある事例かも、と思った。
# 追記 2
TwitterGoogleが新しい動詞を生んだのに対し、Facebookはあれだけ普及してるにもかかわらず(だからこそ?)、言葉の表現に関しては割と保守的な感じを受けるのがなんか面白いと思った。