クロネコヤマトはなぜネコのついた車を走らせるのか?

ゆうべ弟と話してたらこんなことを言ってて面白かったので、少し思考実験的に色々考えてみた。
クロネコヤマトって、なんでみんなデカデカと自社ロゴ付けて走ってるんだろうね?あのスペースを広告媒体にすればいいのに。」
つまりこういうことです。クロネコヤマトが宅配便であることは日本中の誰もが知っていることで、それをわざわざ全国をあまねく走る全てのトラックで喧伝する必要が本当にあるのだろうか?バスや電車やタクシーだって今どき広告がついている。もっとも、あまり知名度のない宅配業が自社ロゴをつけて走ることには、広告宣伝の意味が大いにあるのだろうけど、もう誰もが知っていて、認知度が飽和状態にある会社にとって、全部のトラックが同じマークをつけて走るのは少し過剰なのかもしれない。佐川とか、ペリカンとか、郵便の赤い車も同じく。
ネコのマークがついた車が日々全国で見られるということが、消費者の広い認知とブランディングに繋がっているという考え方はもちろんあるだろう。「ネコのマークでおなじみの〜」というやつだ。しかし、現状で十分おなじみなのだから、全ての車が同じロゴを全面に付けて走る必要性は必ずしもないのかもしれない。自社ロゴはそれとわかるように、決まった場所にもっと小さく付いていれば十分なのではないだろうか?
広告をつけて走るということが、コーポレート・アイデンティティとしてどうなのか、という議論もありそう。「広告をつける」という行為が、「身売り」と捉えられ、マイナスイメージになると考えられがちだ。しかし、バスや電車が宣伝を付けたところで、意外とマイナスイメージにはなっていないのではないだろうか?最初の頃は少し議論を呼んだ記憶があるが、一度当たり前になってしまうと、割と抵抗なく受け入れられている。むしろ面白い広告が貼られていると、それ自体が楽しまれコンテンツとして消費されている面もある。結果、本体の方に注目が集まることもあるだろう。
そんなわけで、配送トラックに広告。意外とアリなんじゃないでしょうか?全部のトラックではなく、電車のように一部のトラックだけ媒体として開放するとかね。どうだろう。
同じような発想で色々なものが広告媒体になりうる可能性がある。
例えば、ペットボトルのパッケージとか。ボトルの360度全てに、その商品のロゴが入ってる必要があるのだろうか?お客さんに見える表側だけで十分なんじゃないだろうか?例えば、お茶のペットボトルの裏側には「このお茶を飲んだ人はこんなお菓子も食べています!」みたいな、アマゾン的レコメンドが入ってても面白いかもしれない。売れているペットボトル商品ほど広告枠が高い、とかね。
道路とかも広告スペースとして売れそうな部分あるかもしれない。あんまりやりすぎるとチラチラして危ないというのはあるかもだけど。しかしF1のサーキットなんかあれだけ広告媒体としてフル活用されてるんだから、高速道路なんかもうちょっと看板とかついてても大丈夫なんじゃないか?と思うことはある。その収益で高速道路無料化、とかね。みんなハッピーなんではないだろうか?
まぁ、いずれも極論の戯言で、実際のオペレーション上は色々厳しいのかもしれないのだけど、こうしたアイデアの根っこにあるのは、
必要のない過剰な所有物は、それを必要としている他者(他社)と思い切ってシェアしてしまった方が、結果的にリターンが大きいのではないかということなのだ。
この発想をベースにすると、色々面白い発見ができそうだなぁと思う今日この頃です。