デザインの文化的な知識が深いことと実際のデザイン力ってそんなに関係あるのかな

良い物を作りたかったら、多くの良いものに触れること
というのは良く聞く。それに対して特に異論はなくその通りだと思うのだけど、良いものに触れてるだけで、良い物を作れるとはもちろん限らないし、「触れ方」にもミソがありそうな気がする。
小さなデザイン事務所というのは、大体デザイン的な「師匠」となる存在が一人居る。社長本人であったり、社長がデザインをしない場合は社長の秘蔵っ子であったり、とにかくその「師匠」がその会社のデザインカラーになり、その他の人は師匠のアートディレクションのあるなしに関わらず、師匠のコピーに自然となっていく。それをベースにだんだんと、個々の独自性を確立したり、独立したり辞めたりするのだけど、何にせよ、原体験である「師匠」の影響というのは強い。
私も、美大を卒業したあと、小さなグラフィックデザインの事務所に潜り込んだのだけれど、そこにもやはり「師匠」的な人がいた。
当時自分が20代前半で、師匠である女性は30代後半。雑誌の誌面や表紙、広告ポスター、チラシ、何を作っても上手だった。小手先のデザインだけではなく、企画力もあり、企画書を書くのも上手で、顧客の要望をとてもわかりやすくポップなストーリーに落とし込む。プレゼンも上手い。一度彼その人と仕事をしたお客さんは、ファンになった。そして、四六時中いつも仕事をしていた。職場のすぐ近所に家があるにもかかわらず、何日も帰らないとか普通で、今考えるとブラック会社以外の何物でもないんだけど、でも本当に楽しそうに仕事をしていた。その人から学んだことは本当に多く、今でも仕事上の師匠を誰か一人挙げよと言われたら、その人の名前が一番に浮かぶ。
しかし、その師匠はデザインの文化的なバックボーンみたいなのを殆ど持っていなかった。当時流行っていた、デザイナーズリパブリックとかTOMATOとか、グルビでさえ知らなかったし、美大生なら聴いていそうな音楽、映画、本、写真も殆ど知らない。デザイン系の雑誌をチェックしたりもしない。展覧会なども行かない。っていうか、そんな暇がないくらい仕事も忙しい。見た目も美人さんなんだけど、いわゆるデザイナー風のオシャレさんじゃなくて、どっちかというとコンサバっぽい感じ。女性誌は結構好きで見てた記憶がある。
たまに、その師匠の人に、「今時」のデザイン集とか見せたりすると、「あ、このネタ今度使えそう!」とか、「これイイ!いいアイデア」とか言いながら、楽しそうに付箋をどんどん貼っていく。このデザイナーがどうこうとか、この人知らないとか、そういうことは師匠にとってはどうでもいいことで、師匠にとって他人の作品鑑賞とは、自分が作る上での「元ネタ」を探す事に他ならないのだ。徹底的に、実践主義なのだ。そして、付箋の貼られた「元ネタ」たちは、師匠の手が加えられ別の見事な「デザイン」となって、後日会社の出力機から姿を現したりする。
自分もそうだったけど、学生時代というのは、やたら「デザイン」に対して変な幻想を持っていた気がする。ひたすら「やりたい放題やってる感じ」のデザインや偉大な作品ばかり見ていた中で、いきなり小さなデザイン事務所で現実を叩きつけられ(いや、君のやりたい事はわかるけどね、これしか予算ないんですよ。とか。)、「自分の作りたいもの」と「仕事のデザイン」の狭間で悩んだりする。そしていつしか、「自分のやりたい事」とは別に「仕事」を捉えるようになったりする。仕事は仕事、と割り切るようになる。割りきってしまったが最後、その人の仕事上の能力的な伸びしろはそこまでになってしまう。かと言って仕事は仕事と割りきっている人は、プライベートで一生懸命自分の作品を作っているかというと、うーん、どうなんだろう…。
自分も下手したらそこに陥りそうになったのだけど、師匠の仕事ぶりを見ている中でかなり救われたと思う。師匠は、自分の仕事と「鑑賞」の間にボーダーラインを引かないのだ。そして、「仕事」と「自分で作ること」そのものの中に楽しみを見出している。結局のところ、その姿勢はすごく大事なんだろうなと思うのだ。
文化的な知識や、バックボーンがあるには越したことないし、それは実務の中でいつか引き出しとして役に立つこともある。また、自分では気づかない部分で支えとなってくれる部分も大いにあると思う。あと、知らないと恥ずかしかったりするしね。。
でも、実際作りたい人にとって、「鑑賞」する力って必ずしも必須じゃないなぁとも思うのだ。変に頭でっかちになると、却って邪魔になったりするし。まぁ、人生にたくさんある楽しみのうちの何を選択するかの問題だと思うけども。
あと、最近の若い人は文化を体系的に学ばないという話しも良く聞くのだけど、それも別に悪くない傾向なのかもしれないと個人的には思っている。そういう人からしか新しいものは生まれないのかもしれない。もともと、従来の大量消費社会の中で培われたものを追っていても、それってこれからどうなんだ、と思うし。実際、最近カリスマデザイナーって昔ほど生まれていない気がするし。デザインに限らず、カリスマが牽引していくような時代はもう終わってしまったのかもしれない。そんな中では特に、自分の触れるものを、自分の原資として自分の実際の行動の中でどう生かすかが、これからますます重要になるのかなという気がしている。ネットで検索できるせいで、知識自体に大した価値がなくなったというのも関係あるのかもしれない。
そして結局のところ、実際作る中でしか、作るセンスは磨かれないのだと思う。
だから、デザイン力を付けたいからデザイン展や美術展に足繁く通っているとか、そういうがんばりやさんの人にたまに会うんだけど、そんな時は、
「それよりも自分のいいなぁと思うもので、自分にもなんとか作れそうなその辺のものを、まずは適当にパクって自分で作ってみた方が、スキルを付けるには全然早道だと思うよ。」
とおすすめするようにしている。